龍王堂へご来店いただきまして、ありがとうございます!携帯ストラップは木札、アクリル札、アルミ札と素材を増やし、ギフトでは贈られた人の喜ぶ顔が見えるような商品をそろえて行きたいと思っています。                 ショッピングカートにある商品で、レイアウトやパーツの変更をされたいとお考えのお客様は、お気軽にフルオーダーのフォームよりお問い合わせください。                                 当店一押しの【昇り龍(のぼりりゅう)・降り龍(くだりりゅう)千社札携帯ストラップ】は最新のレーザー加工機を使い匠の技に迫る立体彫刻を再現いたしました。          日本の伝統工芸の欄間をイメージして彫られた文字の貫通する仕上がりは所有する方にきっとご満足いただけると思います。           【こだわりの欄間調透かし彫り】欄間調透かし彫りは、ご好評の昇龍・降龍立体彫りの姉妹アクセサリー企画としてシリーズ化しました。                        一日に10個しか作ることの出来ない表裏で貫通させる彫りは昇龍・降龍譲り、所有される方の満足度は他の彫り方の追従を許しません。          今後、花鳥風月(瑞獣 松竹梅 鶴亀 波兎 月兎 梅鶯 紅葉鹿 竹虎 波千鳥 雲龍)の図柄等続々とシリーズは増えて行きますのでご期待ください。          【昇鯉】(鯉の滝のぼり)は、後漢書 李膺伝 登龍門の一節の元となった『黄河の上流にある急流 龍門を登リ切った鯉は龍になる』という伝説をモチーフにしています。          鯉は龍門を登る強い生命力のある魚として、昇鯉(しょうり)勝利の語呂にもあわせ難関突破(志望校合格祈願)や商売繁盛・金運招福など風水 開運グッズ縁起物として、夫婦鯉は子孫繁栄・夫婦円満。          また『江戸っ子は五月の鯉の吹き流し』と言われるように言葉は荒いが、腹にわだかまりもなく、さっぱりしているということを鯉幟の姿からたとえ江戸っ子気質を言い表したものとしても人気の図柄です。          【波兎】波兎は、謡曲『竹生島(ちくぶじま)』「月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や」をモチーフにした波の上を跳ねるウサギと月を彫刻した図柄です。          飛躍・躍進・子孫繁栄・五穀豊穣・月の精・防火・火災除けをイメージする吉祥文様でもあります。          こだわりの欄間調透かし彫り千社札は裏表貫通彫りです。 千社札携帯ストラップLサイズ 表面には家紋、お名前、さし札をお彫りします。          書体は千社札に使われている江戸文字 千社文字系書体の“籠文字”を使用しています。          お名前の部分に屋号やサークル等の会の名称 さし札部分は四文字熟語の他 地名やサークル名等を置き換えて配置して作製することも可能です。          お彫りする文字数がお勧めの文字数より多い場合は文字に平体処理を掛けることで配置する文字数を増やすことが出来ますが、読み辛くなることもございますので必ず仕上がり配置イメージを画像で確認を選択していただきご確認ください。          また家紋部分が不要な場合は空欄にしていただくか記入欄へ不要と書き込んでいただくことでその部分から、お名前をお彫りして作製することも可能です。          

記事一覧

BlogTop > 龍神伝説

四本竹の龍神伝説

2011.01.10


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、芝川第1調節池の近くにある、浦和くらしの博物館民家園
四本竹(龍の棲みか)の手がかりを探しに行ってきました。
浦和くらしの博物館民家園写真1浦和くらしの博物館民家園写真2

民家園の南の外れにある掲示板によると

この前方に『四本竹』というところがあります。
その地名はむかし四本の竹を四方に立ててしめ縄を張り、
そこを祭祀の場としてお祭りを行っていたことから
その名がつきました。その辺り一帯は見沼という
大きな沼で、沼の主の竜神が棲んでいたといいます。

四本竹の竜神伝説掲示板四本竹遺跡発掘調査答え

むかしむかし、宮本の氷川女軆神社は、2年に一度、見沼
一番深いところに神輿を舟に乗せていき、沼の主の竜神を
祀る『御船祭』というお祭りをおこなっていました。
神主が、舟から四本の竹をしめ縄で囲ったところに向かって
お祓いを済ませたあとで、お神酒や供物を沼にささげます。
すると、そこにはまたたく間に渦を巻き、ささげた供物などを
沼の奥底にあっという間に吸い込んでしまったというのです。
見沼の竜神は人々に沼の恵みや、田畑を耕す水を与えて人々を
見守ってくれているので、竜神を大切にするお祭りが昔から
つづいているのです。

とっ書いてありましたが、具体的にそれが何処なのかに関しては
芝川第1調節池が現在も工事中であるため、今回も特定できませんでしたが
下記地図の範囲のどこかであることには間違いありません。
四本竹遺跡の発掘調査の資料を探せば特定できるかも知れません。


大きな地図で見る

タグ:龍神伝説 見沼 昇り龍 降り龍

見沼の笛(見沼の伝説)

2010.11.23


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の氷川女軆神社から龍神伝説の残る
見沼通船堀へ行って参りました。

ファイル 70-1.jpg
     【附島氷川女軆神社】
見沼代用水西縁の見沼通船堀付近には、附島氷川女軆神社も
あり、御船祭とも何らかのかかわりがあった地のようです。
ファイル 70-2.jpgファイル 70-3.jpg
見沼通船堀西縁二の関方向からの一の関】【見沼通船堀西縁一の関】

見沼通船堀 見沼代用水西縁の掲示板より

昔、このあたりの見沼が、まだ満々と水をたたえて
いたころのこと。
夕暮れになると、沼のほとりのどこからか美しい笛の
音が流れてきます。そしてその笛の音に誘われるかの
ように、村の若い男たちが、一人また一人と沼のほとり
から消えてゆきました。
村の若者は、だんだん少なくなって、お百姓もできなく
なるほどになりました。困った村人たちは、これは
きっと見沼の主が、なにかを怒ってなされるに違いない、
見沼の主の心を鎮め、いなくなった若者たちを慰めるため
供養塔を建てることにしました。そして大きな石の塔を
建てねんごろに供養しました。それ以後は、不思議な笛の
音は、ぴたりと止んで、行方不明になる若者もなくなり、
再び村は平和になったということです。

ファイル 70-4.jpgファイル 70-5.jpg
     【鈴木家住宅】           【鈴木家住宅附属建物内掲示物】

鈴木家住宅入り口案内板より

享保十二年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛
為永に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保十六年の
見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に
任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤
などには通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを
行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、
住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の
船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。

鈴木家住宅は、見沼田圃の八丁堤のちょうど真ん中辺りに
建てられています。


大きな地図で見る

タグ:龍神伝説 見沼 昇り龍 降り龍

御船祭の龍神伝説

2010.11.20


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の万年寺から龍神伝説の残る
氷川女軆神社へ行って参りました。

ファイル 69-1.jpg
   【氷川女軆神社 拝殿

氷川女軆神社磐船祭祭祀遺跡入り口脇の案内板より

とおいむかしから、見沼の一番深い所に神輿を
乗せた舟を繰り出し、沼の主の竜神を祀るために
御船祭」というお祭りが行われていました。
ところが、見沼を干拓して田んぼにするという
ことになると、永年つづいていた「御船祭」が
出来なくなってしまいます。
田畑に水を与え、人々を見守ってくれる竜神
大切にするお祭りが出来なくなっては、人々が
感謝の気持をあらわすこともできません。
そのお祭りを行っていたのは、この氷川女軆神社
です。そこで神社は、幕府にそのことを告げた
のです。
すると幕府は、神社の前にまるで手鏡のように
見沼の水を残し、中央に土壇場という出島を
つくりお祭りの場を残してくれたのです。
見沼竜神は干拓と同時に天に昇り、今でも
この辺りを見守ってくれているといいますが、
それだけではありません。この残された見沼
時折来ては泳いでいるのです。もしかすると、
コイに姿をかえて泳いでいるのかも知れません。
※「御船祭」は干拓後「磐船祭」となり、その後
「祇園磐船竜神祭」として毎年5月4日に行われて
います。

ファイル 69-2.jpg ファイル 69-3.jpg
【武蔵国一宮と記されている鳥居の額】【注連縄が巻かれている社務所脇の木】
社務所脇のご神木と思われる木は杉では無いようです?
手前右の木は樹皮とはるか上の葉の様子から杉の可能性も
ありますので、前回の見沼の龍神灯で灯ったとされる大杉
かもしれませんが他にも沢山杉らしき木もあり、
既に大木の切り株もあるので、今回は当時の大杉は特定
できませんでした。
ファイル 69-4.jpg ファイル 69-5.jpg
   【磐船祭祭祀遺跡 土壇場】        【磐船祭祭祀遺跡 結界
磐船祭は干拓前は、御船祭として行なわれ、見沼の一番深い所に
神輿を乗せた舟を繰り出し、四本の竹を四方に立てて注連縄を
張り、そこに結界をつくりお神酒や供物を沼にささげ沼の主
龍を待ったとされます。(そのむかしは生贄をささげたという
説もある)その四本竹(しほんだけ)地名にも以前はありました
さいたま市緑区大字下山口新田四本竹
現在は、たぶん調整池付近がそこにあたると考えられ、そこでは
以前、四本竹遺跡の発掘調査が行われ地中に突き刺さった790本の
竹や寛永通宝などの古銭97枚が出てきたといわれてます。
このことからすると、現芝川第1調節池あたりが龍の棲家だったのかも
知れません?
芝川第1調節池の近くに、浦和くらしの博物館民家園があります
住所は下山口新田1179-1 四本竹の何か手がかりがあるかも…


大きな地図で見る

タグ:龍神伝説 見沼 昇り龍 降り龍

見沼の龍神灯

2010.11.14


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の国昌寺から龍神伝説の残る
万年寺へ行って参りました。

ファイル 67-1.jpg
国昌寺橋たもとの掲示板】
このたもとの掲示板には、下記のように記されています。

将軍吉宗の命を受けた井沢為永は、このあたりの見沼を干拓し、
利根川から代わりの水を引く工事をしていました。
ある晩のこと、為永は夢を見ました。見沼の主で龍神という
美しい女が現れ、私の住むところがなくなる、新しい住家を
探すまで工事を中止してほしい・・・・・・と言います。
来春の稲の作付けに間に合わせるため工事は一日も休めません。
そのうち工事に負傷者や傷害が続出し、為永も病に倒れて
しまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、
お前の病を治してあげるから、私の頼みもきいてほい・・・・・・
と言いました。困った為永は、龍神を慰めるため龍神灯を
お供えしました。
この龍神灯は、誰がつけるのかわかりませんが、為永の宿舎に
していた片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、
あかあかと、ともったということです。

ファイル 67-3.jpgファイル 67-2.jpg
     【万年寺山門と本堂】         【万年寺山門右の石碑】
ファイル 67-4.jpgファイル 67-5.jpg
     【山門の案内板】            【万年寺境内の案内板】
龍神灯が、ともったと言う大松は、今回時間が無かったので
特定できませんでしたが、次回は国昌寺橋たもとの掲示板にも
書かれていた氷川女体神社に行こうと考えております。
時間があれば、両方検証してみたいと思います。
また、この龍神灯の伝説と国昌寺の開かずの門が結び付く
伝説が地元川口にあり、その龍神は印旛沼にすみかを代えたと
言うことです。
どこかに、この伝説を裏付ける記録が残っていると思うので
いずれ、つきとめたいと思います。


大きな地図で見る

タグ:龍神伝説 見沼 昇り龍 降り龍

『開かずの門』と『釘づけの龍』

2010.11.07


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、午後から龍神伝説が残る国昌寺へ行って
来ました。
近くには芝川も流れ新見沼大橋を渡る有料道路も
ありますが、一本道を入ると静かな、お寺の佇まいです。
ファイル 65-1.jpg
【センダンバノボダイジュ
(旧浦和市指定天然記念物)と本堂】

このお寺には『開かずの門』と『釘づけの龍』と言う
伝説があり、その一つの開かずの門の伝説は昔良く
聞かされていて、他のたとえで悪いことをすると
山門の龍神様に食べられてしまうぞと言われたものです。
ファイル 65-2.jpgファイル 65-3.jpg
       【国昌寺門】               【釘づけの龍】
ファイル 65-4.jpgファイル 65-5.jpg
      【山門の案内板】            【国昌寺の案内板】

    【国昌寺の案内板より抜粋】

欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、
棺を担いでこの門をくぐり抜けると、龍に中身を
喰われ軽くなると言う伝説をもっている。
また、この龍はもと見沼に住んでいて作物を荒らし
たので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫って
もらい、釘づけにして門におさめたという伝説もある。

左甚五郎の作と伝えられる龍の木彫は、この他にも
近くの大門神社、越谷市の慈眼山清蔵院等調べると
当店から車で20~30分程のところにも沢山ある
ようです。
そこへは、またの機会に訪れて見たいと思います。


大きな地図で見る

タグ:龍神伝説 見沼 昇り龍 降り龍

見沼の龍神

2010.11.04


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。
今ではそれらを知るお年寄りの方の多くは亡くなって
しまい、直接伝説を聞く機会はほとんど無くなって
しまいましたが4・50年前は当店の周囲一帯は水田や畑の
多いところで中には、見沼代用水と言う農業用水から水を
引いていたところもあり、身近に伝説を聞く機会も
ありました。
現在も、神社やお寺、史跡の一部に伝説に出てくる
ところが残っています。
その辺を、記憶の断片とつなぎ合わせて今後検証
していきたいと考えています。

写真は東浦和駅前にあるロータリークラブ寄贈の
の石碑です。
ファイル 64-1.jpg

ファイル 64-2.jpg
【さいたま市周辺の龍神伝説地図】

ファイル 64-3.jpg
【伝説の内容ゆかりの史跡】

ファイル 64-4.jpg
【美女と馬子の伝説】
この話が元になる伝説が多いですが
微妙に途中の役割やオチの違う
バージョンがあります。


大きな地図で見る

タグ:龍神伝説 見沼 昇り龍 降り龍

ページ移動

  • << PREV
  •   NEXT >>