当店の千社札風木札のご注文で戦国武将の家紋と武将のお名前を
入れるご依頼をいただくことがございます。
その際、手持ちのいくつかの家紋に関する書物や博物館の図録
(合戦絵巻・合戦図屏風)の他ネットに出ている情報を参考に家紋を
確認することがございます、武将の方々の使った家紋と言うのが
お一人の方で一つでは無いと言うことや、名前も幼名から元服名、
従う主君により改名されるなど名前も違うので、名前と使って
いた時代を家紋を中心に検証しています。
山本 勘助(やまもと かんすけ)もその中の一人で武田氏の軍学書『甲陽軍鑑』江戸時代の地誌『甲斐国志』によると、勘助は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市山本)の吉野貞幸と安の三男に生まれ、三河国(愛知県)牛窪城主牧野氏の家臣大林勘左衛門の養子となり、その後諸国を放浪し兵法を体得し、駿河国(静岡県)の今川家に身を寄せ仕官を望んだが今川義元は勘助の異形を嫌い召抱えず、甲斐国(山梨県)武田家の重臣板垣信方により才を見い出され武田晴信(信玄)に勘助を推挙し武田家の足軽大将となったとされています。
名前も山本源助、大林源助、勘助、山本勘助、晴幸、道安、道鬼斎(号)と改名しまた。菅助、菅介、勘介と記述されていたと言う説もあり謎の多い武将であり近年まで実在そのものが怪しまれていました。
家紋は、左三ツ巴紋が定紋とされ、兜の前飾り(前立)に山本の文字を変形させた紋の山あるいは、本の部分を使った物もございますが、実在そのものが怪しまれていた人物であり後世の軍談や浄瑠璃、絵画作品のイメージから作られたとも言われています。
お客様からのご依頼では表面に
左三ツ巴紋、裏面に山本の文字を
変形させた家紋を彫刻するご依頼が
多いです。
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