千社札を知るにはその歴史に関して少し調べないとならないですが、
その起源は、御詠歌(巡礼歌)までさかのぼるようです。
御詠歌(巡礼歌)の起源は、永延二年(988)に第65代花山天皇の
西国巡礼にあると言われ那智山青岸渡寺を一番札所と定め、
『補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬』の1首を
奉納されたことが御詠歌の起源とされています。
室町時代までは一般的には木簡といわれる幅5センチ高さ15センチほどの
木札を紙が高価だったため納札したようです。
これが千社札の始まりなのですが、正式には『題名納札(だいめいのうさつ)』
という物であり、今日の千社札と言うようになったのは、江戸時代後期に
流行った『稲荷千社参り』の際、稲荷神社に貼った紙の題名札を千社札と
言うようになったことからのようです。
『稲荷千社参り』の千社とは当時の江戸の名物『武士鰹大名小路生鰯(広小路)、茶店紫火消し錦絵、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋稲荷に犬の糞』の
中の『伊勢屋稲荷に犬の糞』のように稲荷神社が江戸に数多くあり千社と呼ぶようになったようです。
この千社札のサイズ元は木簡から始まり紙が一般的な物となった江戸時代後期まで、統一されたものは無く、神社仏閣に貼られている物を見ても規格と言う物は無いですが、最も多いサイズは浮世絵版画に使用される大奉書(和紙)
約1尺3寸×約1尺7寸5分、一尺は30.3mm寸は3.03mm、ミリに換算すると
393.9mm×530.25mmを元にした一丁札(16裁サイズ)は約197mm×約66.5mmですが断ちしろを除いた174mm×58mmが基本のようです。
当時の印刷方法は浮世絵版画と同じ方法ですので、全判サイズ十六丁札と言うのも交換札ではあったようです。
また、千社札には札所で木札を打ちつけて巡拝した名残なのか、その多くは紙の上部に余白があります。
神社仏閣に許可をもらいご朱印を頂いた上で貼る千社札(題名札)は色の付いた
交換札とは違いスミ一色刷で作るのが基本のようです。
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千社札の寸法(サイズ)
千社文字と籠文字
当店で作成している木札には、江戸文字の一種、
籠文字(かごもじ)が選択出来るようになっております。
千社文字(せんしゃもじ)は使えないのでしょうかと言う
お問い合わせをいただくことがあるのですが、
以前ネットで調べて千社文字と籠文字は同じ文字と
言う結論に達していたのですが、千社札に関する
書物や千社文字の書体集を購入し、実際に籠文字と
同じなのか検証してみました。
その結果、書体自体の特徴は、ほぼ同じでネットに
掲載されているとおり同じ系統の書体だとわかりました。
また、小さい文字で入れる場合、寄席文字(よせもじ)
橘流(たちばなりゅう) や芝居文字(しばいもじ)
勘亭流(かんていりゅう)等も使われ、その他
髭文字(ひげもじ)、相撲字(すもうじ) 、
提灯文字(ちょうちんもじ)、角字(かくじ)等の
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