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見沼の笛(見沼の伝説)

2010.11.23


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の氷川女軆神社から龍神伝説の残る
見沼通船堀へ行って参りました。

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     【附島氷川女軆神社】
見沼代用水西縁の見沼通船堀付近には、附島氷川女軆神社も
あり、御船祭とも何らかのかかわりがあった地のようです。
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見沼通船堀西縁二の関方向からの一の関】【見沼通船堀西縁一の関】

見沼通船堀 見沼代用水西縁の掲示板より

昔、このあたりの見沼が、まだ満々と水をたたえて
いたころのこと。
夕暮れになると、沼のほとりのどこからか美しい笛の
音が流れてきます。そしてその笛の音に誘われるかの
ように、村の若い男たちが、一人また一人と沼のほとり
から消えてゆきました。
村の若者は、だんだん少なくなって、お百姓もできなく
なるほどになりました。困った村人たちは、これは
きっと見沼の主が、なにかを怒ってなされるに違いない、
見沼の主の心を鎮め、いなくなった若者たちを慰めるため
供養塔を建てることにしました。そして大きな石の塔を
建てねんごろに供養しました。それ以後は、不思議な笛の
音は、ぴたりと止んで、行方不明になる若者もなくなり、
再び村は平和になったということです。

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     【鈴木家住宅】           【鈴木家住宅附属建物内掲示物】

鈴木家住宅入り口案内板より

享保十二年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛
為永に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保十六年の
見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に
任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤
などには通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを
行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、
住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の
船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。

鈴木家住宅は、見沼田圃の八丁堤のちょうど真ん中辺りに
建てられています。


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