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見沼の笛(見沼の伝説)


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の氷川女軆神社から龍神伝説の残る
見沼通船堀へ行って参りました。

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     【附島氷川女軆神社】
見沼代用水西縁の見沼通船堀付近には、附島氷川女軆神社も
あり、御船祭とも何らかのかかわりがあった地のようです。
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見沼通船堀西縁二の関方向からの一の関】【見沼通船堀西縁一の関】

見沼通船堀 見沼代用水西縁の掲示板より

昔、このあたりの見沼が、まだ満々と水をたたえて
いたころのこと。
夕暮れになると、沼のほとりのどこからか美しい笛の
音が流れてきます。そしてその笛の音に誘われるかの
ように、村の若い男たちが、一人また一人と沼のほとり
から消えてゆきました。
村の若者は、だんだん少なくなって、お百姓もできなく
なるほどになりました。困った村人たちは、これは
きっと見沼の主が、なにかを怒ってなされるに違いない、
見沼の主の心を鎮め、いなくなった若者たちを慰めるため
供養塔を建てることにしました。そして大きな石の塔を
建てねんごろに供養しました。それ以後は、不思議な笛の
音は、ぴたりと止んで、行方不明になる若者もなくなり、
再び村は平和になったということです。

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     【鈴木家住宅】           【鈴木家住宅附属建物内掲示物】

鈴木家住宅入り口案内板より

享保十二年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛
為永に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保十六年の
見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に
任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤
などには通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを
行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、
住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の
船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。

鈴木家住宅は、見沼田圃の八丁堤のちょうど真ん中辺りに
建てられています。


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御船祭の龍神伝説


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の万年寺から龍神伝説の残る
氷川女軆神社へ行って参りました。

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   【氷川女軆神社 拝殿

氷川女軆神社磐船祭祭祀遺跡入り口脇の案内板より

とおいむかしから、見沼の一番深い所に神輿を
乗せた舟を繰り出し、沼の主の竜神を祀るために
御船祭」というお祭りが行われていました。
ところが、見沼を干拓して田んぼにするという
ことになると、永年つづいていた「御船祭」が
出来なくなってしまいます。
田畑に水を与え、人々を見守ってくれる竜神
大切にするお祭りが出来なくなっては、人々が
感謝の気持をあらわすこともできません。
そのお祭りを行っていたのは、この氷川女軆神社
です。そこで神社は、幕府にそのことを告げた
のです。
すると幕府は、神社の前にまるで手鏡のように
見沼の水を残し、中央に土壇場という出島を
つくりお祭りの場を残してくれたのです。
見沼竜神は干拓と同時に天に昇り、今でも
この辺りを見守ってくれているといいますが、
それだけではありません。この残された見沼
時折来ては泳いでいるのです。もしかすると、
コイに姿をかえて泳いでいるのかも知れません。
※「御船祭」は干拓後「磐船祭」となり、その後
「祇園磐船竜神祭」として毎年5月4日に行われて
います。

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【武蔵国一宮と記されている鳥居の額】【注連縄が巻かれている社務所脇の木】
社務所脇のご神木と思われる木は杉では無いようです?
手前右の木は樹皮とはるか上の葉の様子から杉の可能性も
ありますので、前回の見沼の龍神灯で灯ったとされる大杉
かもしれませんが他にも沢山杉らしき木もあり、
既に大木の切り株もあるので、今回は当時の大杉は特定
できませんでした。
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   【磐船祭祭祀遺跡 土壇場】        【磐船祭祭祀遺跡 結界
磐船祭は干拓前は、御船祭として行なわれ、見沼の一番深い所に
神輿を乗せた舟を繰り出し、四本の竹を四方に立てて注連縄を
張り、そこに結界をつくりお神酒や供物を沼にささげ沼の主
龍を待ったとされます。(そのむかしは生贄をささげたという
説もある)その四本竹(しほんだけ)地名にも以前はありました
さいたま市緑区大字下山口新田四本竹
現在は、たぶん調整池付近がそこにあたると考えられ、そこでは
以前、四本竹遺跡の発掘調査が行われ地中に突き刺さった790本の
竹や寛永通宝などの古銭97枚が出てきたといわれてます。
このことからすると、現芝川第1調節池あたりが龍の棲家だったのかも
知れません?
芝川第1調節池の近くに、浦和くらしの博物館民家園があります
住所は下山口新田1179-1 四本竹の何か手がかりがあるかも…


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見沼の龍神灯


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の国昌寺から龍神伝説の残る
万年寺へ行って参りました。

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国昌寺橋たもとの掲示板】
このたもとの掲示板には、下記のように記されています。

将軍吉宗の命を受けた井沢為永は、このあたりの見沼を干拓し、
利根川から代わりの水を引く工事をしていました。
ある晩のこと、為永は夢を見ました。見沼の主で龍神という
美しい女が現れ、私の住むところがなくなる、新しい住家を
探すまで工事を中止してほしい・・・・・・と言います。
来春の稲の作付けに間に合わせるため工事は一日も休めません。
そのうち工事に負傷者や傷害が続出し、為永も病に倒れて
しまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、
お前の病を治してあげるから、私の頼みもきいてほい・・・・・・
と言いました。困った為永は、龍神を慰めるため龍神灯を
お供えしました。
この龍神灯は、誰がつけるのかわかりませんが、為永の宿舎に
していた片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、
あかあかと、ともったということです。

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     【万年寺山門と本堂】         【万年寺山門右の石碑】
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     【山門の案内板】            【万年寺境内の案内板】
龍神灯が、ともったと言う大松は、今回時間が無かったので
特定できませんでしたが、次回は国昌寺橋たもとの掲示板にも
書かれていた氷川女体神社に行こうと考えております。
時間があれば、両方検証してみたいと思います。
また、この龍神灯の伝説と国昌寺の開かずの門が結び付く
伝説が地元川口にあり、その龍神は印旛沼にすみかを代えたと
言うことです。
どこかに、この伝説を裏付ける記録が残っていると思うので
いずれ、つきとめたいと思います。


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☆第十一回図書カードプレゼントご当選者発表☆

先程スタッフとパソコンに届いた正解380通のメールの中から

厳正なる抽選の結果

山口県の荒木様がご当選されました

おめでとうございます

後ほどメール便のお問い合わせ番号をご応募の時に

記入していただいたアドレス宛にお送りいたします

景品の図書カードと共に副賞も同封いたしましたので

ご笑納ください

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(今回は降り龍 豆札の裏面にお名前を彫刻した物を同封いたしました)

景品の到着は12日を予定しております

昇り龍・降り龍のご購入はこちらから

『開かずの門』と『釘づけの龍』


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、午後から龍神伝説が残る国昌寺へ行って
来ました。
近くには芝川も流れ新見沼大橋を渡る有料道路も
ありますが、一本道を入ると静かな、お寺の佇まいです。
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【センダンバノボダイジュ
(旧浦和市指定天然記念物)と本堂】

このお寺には『開かずの門』と『釘づけの龍』と言う
伝説があり、その一つの開かずの門の伝説は昔良く
聞かされていて、他のたとえで悪いことをすると
山門の龍神様に食べられてしまうぞと言われたものです。
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       【国昌寺門】               【釘づけの龍】
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      【山門の案内板】            【国昌寺の案内板】

    【国昌寺の案内板より抜粋】

欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、
棺を担いでこの門をくぐり抜けると、龍に中身を
喰われ軽くなると言う伝説をもっている。
また、この龍はもと見沼に住んでいて作物を荒らし
たので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫って
もらい、釘づけにして門におさめたという伝説もある。

左甚五郎の作と伝えられる龍の木彫は、この他にも
近くの大門神社、越谷市の慈眼山清蔵院等調べると
当店から車で20~30分程のところにも沢山ある
ようです。
そこへは、またの機会に訪れて見たいと思います。


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見沼の龍神


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。
今ではそれらを知るお年寄りの方の多くは亡くなって
しまい、直接伝説を聞く機会はほとんど無くなって
しまいましたが4・50年前は当店の周囲一帯は水田や畑の
多いところで中には、見沼代用水と言う農業用水から水を
引いていたところもあり、身近に伝説を聞く機会も
ありました。
現在も、神社やお寺、史跡の一部に伝説に出てくる
ところが残っています。
その辺を、記憶の断片とつなぎ合わせて今後検証
していきたいと考えています。

写真は東浦和駅前にあるロータリークラブ寄贈の
の石碑です。
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【さいたま市周辺の龍神伝説地図】

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【伝説の内容ゆかりの史跡】

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【美女と馬子の伝説】
この話が元になる伝説が多いですが
微妙に途中の役割やオチの違う
バージョンがあります。


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降り龍 豆札

只今ご応募を、受け付けております
第十一回図書カードプレゼントの副賞に
十回記念に、ひき続き
当店でご好評をいただいております
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降り龍 豆札にご応募いただきましたお名前を
お彫りしてお付けいたします。
ご応募締め切りは、2010年10月29日(金)18時までです。

第十一回図書カードプレゼントのご応募はこちらから

☆第十回図書カードプレゼントご当選者発表☆

先程スタッフとパソコンに届いた正解387通のメールの中から

厳正なる抽選の結果

大阪府の清水様がご当選されました

おめでとうございます

後ほどメール便のお問い合わせ番号をご応募の時に

記入していただいたアドレス宛にお送りいたします

景品の図書カードと共に副賞も同封いたしましたので

ご笑納ください

ファイル 60-1.jpgファイル 60-2.jpg
(今回は昇り龍 豆札の裏面にお名前を彫刻した物を同封いたしました)

景品の到着は10日を予定しております

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昇り龍 豆札

只今ご応募を、受け付けております
第十回図書カードプレゼントの副賞に
十回記念といたしまして
当店でご好評をいただいております
ファイル 56-1.jpg
昇り龍 豆札にご応募いただきましたお名前を
お彫りしてお付けいたします。
ご応募締め切りは、2010年9月30日(木)18時までです。

第十回図書カードプレゼントのご応募はこちらから

Mサイズ昇り龍・降り龍

先日、フルオーダーでMサイズの昇り龍・降り龍のご依頼をいただいたお客様から嬉しいメールが届きました。
お写真も添付されていて、ブログで使っても良いと了承をいただきましたので
皆さんにお写真をご案内いたします。

仙台にお住まいのお客様なのですが、先週末に秋田の乳頭温泉で
キャンプをされたそうで、そのお仲間の方に当店のストラップを
プレゼントされ、お仲間の方も細かく彫られたストラップを
ご覧になられ感動されたとのこと。ありがとうございます。
ご注文をいただいた時に週末に使われると書かれていたので、
出発される日までに届くか心配でしたが、無事届きお仲間の方にも
喜んでいただけたご様子で安心いたしました。
仙台は翌日に届くんですね。

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ご購入されたお客様からメールでお便りをいただくことが増えてきて
作り手としては、それがお叱りのメールだとしても今後の商品に
改善として生かすことが出来るのでこんなに嬉しいことはありません。
まして、喜んでいただければ、作るのに励みになります。

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