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昇り龍・降り龍 上求菩提 下化衆生


今年の干支は辰なので、龍に関してお客様からさまざまな
お問い合わせをいただいております。

そのなかで、お客様から昇り龍と降り龍を両方持っても良い物かと
言うご質問をいただきましたので、ブログでもご案内いたします。

この件に関しては諸説あると思います。
地域によっても考え方は異なることもあると思いますが、
仏教の教義の中の一つに『上求菩提(じょうぐぼだい)
下化衆生(げけしゅじょう)』と言うものがございます。
この世界観を古くから残る仏画や彫刻に現しているものも
ございます。
命あるものの生涯をこうあるべきと現しているのかも知れません。
言い換えれば両方を持っと言うことは完成形とも言えるのでは
ないでしょうか。
目標に向かい修行(修業)を修める過程では昇り龍を持ち
目標を達成した後は降り龍を持つ、また昇り龍と降り龍
両方持っことに関してはそれぞれの方が、それぞれのお立場で、
意味をお考えになり、お持ちになられれば良いと思います。
【昇り龍・降り龍の謂われ】

昇り龍・降り龍の意味・謂われ


来年の干支は辰なので、このところ
昇り龍・降り龍のご注文が増えて来ています。

そのなかで、お客様から昇り龍と降り龍の意味・謂れに関してご質問を
いただきましたので、ブログでもご案内いたします。

単に昇っている龍の姿、降っている龍の姿では謂われの答えにはなって
いませんよね。
上野東照宮唐門の左甚五郎作『昇り龍』 上野東照宮唐門の左甚五郎作『降り龍』
実際、上記上野東照宮唐門の左甚五郎作『昇り龍』『降り龍』の彫刻は構図
からすると右がどちらかと言うと昇り龍ですが社務所のパンフレットによると
『偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来する』と言うことから頭を垂れている
唐門左の龍が『昇り龍』だそうです。
この諺は、詠み人知らずの俳句『実るほど頭を垂れる稲穂かな』が元(の解説)
ではないかと思われますが、そもそも、上る下るの上り龍・下り龍ではなく
昇天降臨の昇り龍・降り龍なので、構図だけでは判断できないですが
『降り龍』に関しての説明は無い様で、なんとも説得力に欠ける気もします。
意味としての昇り龍に関してはだいたい想像の付くところ、降り龍の存在の
意味謂われが知りたいところですよね!!

謂れに関しては、紀元前後頃インドで起った大乗仏教に遡り調べないと
なりませんが、この教義の中の一つに『上求菩提(じょうぐぼだい)下化衆生
(げけしゅじょう)』と言うものがございます。  
菩提(ぼだい)とは菩薩(ぼさつ)になるための悟りのことで、煩悩即菩提
(ぼんのう そく ぼだい)如意宝珠(にょいほうじゅ)を煩悩その物として
説くこともございます。
仏教の教えですのでさまざまな解釈、深い意味がございますが、
簡単に説明しますと。
意味は、上求菩提(悟りを求め修行に励むこと)昇り龍に相当、
下化衆生(命あるもの全てに悟りを説くこと)降り龍に相当、
この教えを意味したものとして、神社の鳥居に刻まれた神域を守護する
昇り龍・降り龍は一対になっていることが多いはずです。
また、龍の持つドラゴンボール(如意宝珠)は摩伽羅魚の脳、鳳凰の肝から採れるともいわれますが、空海の教えでは、『自然道理如来分身者也(自然の道理にして如来の分身)』と説いていて最高位の如来より下位の仏像の中に持つものもいます。
仏像では、これらの物を持物(じもつ)と言い仏像の法力や功徳を象徴する
物であり、主な物として、薬壺蓮華宝剣金剛杵錫杖宝珠日輪月輪水瓶経巻輪宝羂索払子警策宝搭等があり、薬師如来の薬壺や観音菩薩の水瓶等その仏像特有の持物もありますが、多くの仏像では同じような物を手にしている事もあり、如意宝珠もそのなかの一つで、如意輪観音が右の第二手に虚空蔵菩薩地蔵菩薩吉祥天弁財天は左手に持っています。
このように、龍は古来から神仏と密接な関係があったようです。
【昇り龍】御蔵島黄楊 家紋 千社札 携帯ストラップ Lサイズ
当店で販売している、昇り龍の木札はドラゴンボール(如意宝珠)を追う姿、
降り龍は手(前足)に持っている姿を彫っています。
謂れの解釈からすると目標に向かい修行(修業)を修める過程では昇り龍を持ち
目標を達成した後は降り龍を持つと言う使い方にも適した構図となっています。
【降り龍】御蔵島黄楊 家紋 千社札 携帯ストラップ Lサイズ
『降り龍』は、字面から受ける感じでは運気が下がるような気がどうしても
してしまいがちですが、降り龍は、天から舞い降り地上の守り神であるとされ、
上がる下がるのくだりではなく、降臨のくだるであり、意のままに様々な願いを
かなえることの出来るドラゴンボールを持つ姿は、まさに最強の姿となります。
運気が下がるどころか運気が上がる(運気を手中にした)ことを意味した姿と
なっております。
昇り龍降り龍どちらも諸説ございますが、輪廻転生(りんねてんしょう)
命あるものの生涯をこうあるべきと現しているのかも知れません。
大乗仏教の教義の中の一つ『上求菩提(じょうぐぼだい)下化衆生
(げけしゅじょう)』に当てはめた説が有力ではないかと思われます。

昇り龍・降り龍


今年の父の日は6月19日(日)
六月の第三日曜日です。

皆さん、父の日のプレゼント選びはお済みでしょうか?

龍王堂では、昇り龍・降り龍のLサイズを各500円引き
6月19日まで父の日特別価格として販売いたしております。
【昇り龍】御蔵島黄楊 家紋 千社札 携帯ストラップ Lサイズ  【降り龍】御蔵島黄楊 家紋 千社札 携帯ストラップ Lサイズ
御蔵島黄楊 家紋 千社札 携帯ストラップ Lサイズ表面

お客様から先日、昇り龍降り龍どちらを贈ったら良いかとお問い合わせをいただきました。
降り龍は、どうも運気が下がるような気がするのですがと言うものです。
当店で販売している、昇り龍の木札はドラゴンボール(如意宝珠)を追う姿、降り龍は手に持っている姿を彫っています。
如意宝珠とは、意のままに様々な願いをかなえる宝のことです。
降り龍は、天から舞い降り地上の守り神であるとされ、上がる下がるのくだりではなく、降臨のくだるです。
そして、意のままに様々な願いをかなえることの出来るドラゴンボールを持つ姿は、まさに最強の姿となります。
運気が下がるどころか運気が上がることを意味した姿となっております。
昇り龍降り龍どちらも諸説ございますが、目標に向かい修行(修業)を修める過程では昇り龍を持ち目標を達成した後は降り龍を持つ等、贈る方贈られる方のお立場にあわせお勧めいたしております。
木札の表面には、家紋・お名前・差し札をお彫りしておりますが、お名前のみや、『無病息災』等の四字熟語等でも承っております。
その他、桐箱に家紋を入れたい等のご要望のある方は、ご注文の前にショッピングカート右上のお問い合わせボタンよりお問い合わせください。

この木札を特製のラッピング専用桐箱にメッセージ(箱書き)を焼印のように彫ってプレゼントするといっそう高級感が増します。
この特製ラッピング専用桐箱には標準で熨斗と包装紙が込みとなっており、熨斗に、『お父さんいつもありがとう』や『感謝』と言った上書き(表書き)下書きに贈り主の方のお名前等を入れられるお客様が多いです。

桐箱彫刻見本桐箱熨斗見本
6月19日の宅急便お届け日指定は6月14日まで受付中!!
ご注文の際カートの備考欄にてご指定ください。

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なお、桐箱はラッピングですので単体での販売はいたしておりません。

四本竹の龍神伝説


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、芝川第1調節池の近くにある、浦和くらしの博物館民家園
四本竹(龍の棲みか)の手がかりを探しに行ってきました。
浦和くらしの博物館民家園写真1浦和くらしの博物館民家園写真2

民家園の南の外れにある掲示板によると

この前方に『四本竹』というところがあります。
その地名はむかし四本の竹を四方に立ててしめ縄を張り、
そこを祭祀の場としてお祭りを行っていたことから
その名がつきました。その辺り一帯は見沼という
大きな沼で、沼の主の竜神が棲んでいたといいます。

四本竹の竜神伝説掲示板四本竹遺跡発掘調査答え

むかしむかし、宮本の氷川女軆神社は、2年に一度、見沼
一番深いところに神輿を舟に乗せていき、沼の主の竜神を
祀る『御船祭』というお祭りをおこなっていました。
神主が、舟から四本の竹をしめ縄で囲ったところに向かって
お祓いを済ませたあとで、お神酒や供物を沼にささげます。
すると、そこにはまたたく間に渦を巻き、ささげた供物などを
沼の奥底にあっという間に吸い込んでしまったというのです。
見沼の竜神は人々に沼の恵みや、田畑を耕す水を与えて人々を
見守ってくれているので、竜神を大切にするお祭りが昔から
つづいているのです。

とっ書いてありましたが、具体的にそれが何処なのかに関しては
芝川第1調節池が現在も工事中であるため、今回も特定できませんでしたが
下記地図の範囲のどこかであることには間違いありません。
四本竹遺跡の発掘調査の資料を探せば特定できるかも知れません。


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見沼の笛(見沼の伝説)


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の氷川女軆神社から龍神伝説の残る
見沼通船堀へ行って参りました。

ファイル 70-1.jpg
     【附島氷川女軆神社】
見沼代用水西縁の見沼通船堀付近には、附島氷川女軆神社も
あり、御船祭とも何らかのかかわりがあった地のようです。
ファイル 70-2.jpgファイル 70-3.jpg
見沼通船堀西縁二の関方向からの一の関】【見沼通船堀西縁一の関】

見沼通船堀 見沼代用水西縁の掲示板より

昔、このあたりの見沼が、まだ満々と水をたたえて
いたころのこと。
夕暮れになると、沼のほとりのどこからか美しい笛の
音が流れてきます。そしてその笛の音に誘われるかの
ように、村の若い男たちが、一人また一人と沼のほとり
から消えてゆきました。
村の若者は、だんだん少なくなって、お百姓もできなく
なるほどになりました。困った村人たちは、これは
きっと見沼の主が、なにかを怒ってなされるに違いない、
見沼の主の心を鎮め、いなくなった若者たちを慰めるため
供養塔を建てることにしました。そして大きな石の塔を
建てねんごろに供養しました。それ以後は、不思議な笛の
音は、ぴたりと止んで、行方不明になる若者もなくなり、
再び村は平和になったということです。

ファイル 70-4.jpgファイル 70-5.jpg
     【鈴木家住宅】           【鈴木家住宅附属建物内掲示物】

鈴木家住宅入り口案内板より

享保十二年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛
為永に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保十六年の
見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に
任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤
などには通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを
行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、
住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の
船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。

鈴木家住宅は、見沼田圃の八丁堤のちょうど真ん中辺りに
建てられています。


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御船祭の龍神伝説


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の万年寺から龍神伝説の残る
氷川女軆神社へ行って参りました。

ファイル 69-1.jpg
   【氷川女軆神社 拝殿

氷川女軆神社磐船祭祭祀遺跡入り口脇の案内板より

とおいむかしから、見沼の一番深い所に神輿を
乗せた舟を繰り出し、沼の主の竜神を祀るために
御船祭」というお祭りが行われていました。
ところが、見沼を干拓して田んぼにするという
ことになると、永年つづいていた「御船祭」が
出来なくなってしまいます。
田畑に水を与え、人々を見守ってくれる竜神
大切にするお祭りが出来なくなっては、人々が
感謝の気持をあらわすこともできません。
そのお祭りを行っていたのは、この氷川女軆神社
です。そこで神社は、幕府にそのことを告げた
のです。
すると幕府は、神社の前にまるで手鏡のように
見沼の水を残し、中央に土壇場という出島を
つくりお祭りの場を残してくれたのです。
見沼竜神は干拓と同時に天に昇り、今でも
この辺りを見守ってくれているといいますが、
それだけではありません。この残された見沼
時折来ては泳いでいるのです。もしかすると、
コイに姿をかえて泳いでいるのかも知れません。
※「御船祭」は干拓後「磐船祭」となり、その後
「祇園磐船竜神祭」として毎年5月4日に行われて
います。

ファイル 69-2.jpg ファイル 69-3.jpg
【武蔵国一宮と記されている鳥居の額】【注連縄が巻かれている社務所脇の木】
社務所脇のご神木と思われる木は杉では無いようです?
手前右の木は樹皮とはるか上の葉の様子から杉の可能性も
ありますので、前回の見沼の龍神灯で灯ったとされる大杉
かもしれませんが他にも沢山杉らしき木もあり、
既に大木の切り株もあるので、今回は当時の大杉は特定
できませんでした。
ファイル 69-4.jpg ファイル 69-5.jpg
   【磐船祭祭祀遺跡 土壇場】        【磐船祭祭祀遺跡 結界
磐船祭は干拓前は、御船祭として行なわれ、見沼の一番深い所に
神輿を乗せた舟を繰り出し、四本の竹を四方に立てて注連縄を
張り、そこに結界をつくりお神酒や供物を沼にささげ沼の主
龍を待ったとされます。(そのむかしは生贄をささげたという
説もある)その四本竹(しほんだけ)地名にも以前はありました
さいたま市緑区大字下山口新田四本竹
現在は、たぶん調整池付近がそこにあたると考えられ、そこでは
以前、四本竹遺跡の発掘調査が行われ地中に突き刺さった790本の
竹や寛永通宝などの古銭97枚が出てきたといわれてます。
このことからすると、現芝川第1調節池あたりが龍の棲家だったのかも
知れません?
芝川第1調節池の近くに、浦和くらしの博物館民家園があります
住所は下山口新田1179-1 四本竹の何か手がかりがあるかも…


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見沼の龍神灯


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、先日の国昌寺から龍神伝説の残る
万年寺へ行って参りました。

ファイル 67-1.jpg
国昌寺橋たもとの掲示板】
このたもとの掲示板には、下記のように記されています。

将軍吉宗の命を受けた井沢為永は、このあたりの見沼を干拓し、
利根川から代わりの水を引く工事をしていました。
ある晩のこと、為永は夢を見ました。見沼の主で龍神という
美しい女が現れ、私の住むところがなくなる、新しい住家を
探すまで工事を中止してほしい・・・・・・と言います。
来春の稲の作付けに間に合わせるため工事は一日も休めません。
そのうち工事に負傷者や傷害が続出し、為永も病に倒れて
しまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、
お前の病を治してあげるから、私の頼みもきいてほい・・・・・・
と言いました。困った為永は、龍神を慰めるため龍神灯を
お供えしました。
この龍神灯は、誰がつけるのかわかりませんが、為永の宿舎に
していた片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、
あかあかと、ともったということです。

ファイル 67-3.jpgファイル 67-2.jpg
     【万年寺山門と本堂】         【万年寺山門右の石碑】
ファイル 67-4.jpgファイル 67-5.jpg
     【山門の案内板】            【万年寺境内の案内板】
龍神灯が、ともったと言う大松は、今回時間が無かったので
特定できませんでしたが、次回は国昌寺橋たもとの掲示板にも
書かれていた氷川女体神社に行こうと考えております。
時間があれば、両方検証してみたいと思います。
また、この龍神灯の伝説と国昌寺の開かずの門が結び付く
伝説が地元川口にあり、その龍神は印旛沼にすみかを代えたと
言うことです。
どこかに、この伝説を裏付ける記録が残っていると思うので
いずれ、つきとめたいと思います。


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『開かずの門』と『釘づけの龍』


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。

今日は、午後から龍神伝説が残る国昌寺へ行って
来ました。
近くには芝川も流れ新見沼大橋を渡る有料道路も
ありますが、一本道を入ると静かな、お寺の佇まいです。
ファイル 65-1.jpg
【センダンバノボダイジュ
(旧浦和市指定天然記念物)と本堂】

このお寺には『開かずの門』と『釘づけの龍』と言う
伝説があり、その一つの開かずの門の伝説は昔良く
聞かされていて、他のたとえで悪いことをすると
山門の龍神様に食べられてしまうぞと言われたものです。
ファイル 65-2.jpgファイル 65-3.jpg
       【国昌寺門】               【釘づけの龍】
ファイル 65-4.jpgファイル 65-5.jpg
      【山門の案内板】            【国昌寺の案内板】

    【国昌寺の案内板より抜粋】

欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、
棺を担いでこの門をくぐり抜けると、龍に中身を
喰われ軽くなると言う伝説をもっている。
また、この龍はもと見沼に住んでいて作物を荒らし
たので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫って
もらい、釘づけにして門におさめたという伝説もある。

左甚五郎の作と伝えられる龍の木彫は、この他にも
近くの大門神社、越谷市の慈眼山清蔵院等調べると
当店から車で20~30分程のところにも沢山ある
ようです。
そこへは、またの機会に訪れて見たいと思います。


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見沼の龍神


全国各地水のあるところ龍神伝説があると思いますが、
当店のある川口をはじめとする見沼周辺にも龍に関する
伝説が数多くあります。
今ではそれらを知るお年寄りの方の多くは亡くなって
しまい、直接伝説を聞く機会はほとんど無くなって
しまいましたが4・50年前は当店の周囲一帯は水田や畑の
多いところで中には、見沼代用水と言う農業用水から水を
引いていたところもあり、身近に伝説を聞く機会も
ありました。
現在も、神社やお寺、史跡の一部に伝説に出てくる
ところが残っています。
その辺を、記憶の断片とつなぎ合わせて今後検証
していきたいと考えています。

写真は東浦和駅前にあるロータリークラブ寄贈の
の石碑です。
ファイル 64-1.jpg

ファイル 64-2.jpg
【さいたま市周辺の龍神伝説地図】

ファイル 64-3.jpg
【伝説の内容ゆかりの史跡】

ファイル 64-4.jpg
【美女と馬子の伝説】
この話が元になる伝説が多いですが
微妙に途中の役割やオチの違う
バージョンがあります。


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昇り龍と降り龍 左甚五郎作上野東照宮唐門



当店で龍の木札を販売するにあたって
商品名を決めないと、と思いふと疑問に
思った、『昇り龍』と『降り龍』
一般的には、天空に昇ろうとする龍の姿を
『昇り龍』
天空より地上に舞い降りる龍の姿を
『降り龍』と言っています。
そして、さらにそのいわれについてネットで
調べていくと、
中国の『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する、
流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になる
という伝説の諸説をまとめると、
『鯉は滝を登り、登竜門を越え龍となり、
さらに昇って天空の球を手にし下り降りる』
ということになります。
そして、さらに調べたところ、上野の東照宮唐門に
左甚五郎作の『昇り龍』と『降り龍』の彫刻が
あるではないですか。
早速、先週の日曜日に実際に見て来ました。
ここの唐門の龍は社務所のパンフレットによると
『頭を垂れているほうが昇り龍と呼ばれているのは、
偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来すると』
書かれていました。
唐門の左が昇り龍、右が降り龍なのですが、構図から
するとどちらも昇り龍そして頭が上を向いている方が
間違いなく昇り龍と思ってしまいますが、上野の東照宮
左甚五郎作の『昇り龍』は、頭を垂れている唐門左の
龍が『昇り龍』だそうです。
【上野東照宮公式ホームページ】
https://www.uenotoshogu.com/

ファイル 12-1.jpeg
ファイル 12-2.jpegファイル 12-3.jpeg
現在、文化財保存修理中なので本殿内部の見学は
出来ませんが、上野の山はこれから桜が満開になると
思います、東照宮の参堂にも桜の木が植えられて
いましたので、少し足をのばして参拝されてみてはと
思います。
ファイル 12-4.jpegファイル 12-5.jpeg
当店では、混乱を避けるため一般的な龍の構図で
販売することにし、昇り龍はドラゴンボール
(如意宝珠)を追う姿、降り龍は手に持っている姿に
いたしました。


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